阪神時代はヒットメーカーとして活躍したマット・マートン氏。
2010年に放ったシーズン214安打はNPBの右打者およびセ・リーグの最多安打記録です。
この記事では、マット・マートン氏の阪神・メジャー時代の年俸推移と年度別成績、現在の仕事について紹介していきます。
マートンの年俸推移と年度別成績【メジャー/阪神】
マット・マートン氏の阪神・メジャー時代の年俸推移と年度別成績がこちら。
年度(満年齢) | チーム | 推定年俸(日本円) | 打撃成績 | 追記事項 |
---|---|---|---|---|
2005(24歳) | CHC | 1500万円 | 51試 率.321 7本 14点 OPS.907 | – |
2006(25歳) | CHC | 4000万円 | 144試 率.297 13本 62点 OPS.809 | – |
2007(26歳) | CHC | 5000万円 | 94試 率.281 8本 22点 OPS.790 | – |
2008(27歳) | CHC OAK | 1000万円 | 28試 率.186 0本 8点 OPS.448 | – |
2009(28歳) | COL | 1000万円 | 29試 率.250 1本 6点 OPS.707 | – |
2010(29歳) | 阪神 | 1億円 | 144試 率.349 17本 91点 OPS.894 | 1年契約 |
2011(30歳) | 阪神 | 2億円 | 142試 率.311 13本 60点 OPS.762 | 球団契約オプション行使 |
2012(31歳) | 阪神 | 3億円 | 121試 率.260 5本 38点 OPS.632 | 2年契約1年目 |
2013(32歳) | 阪神 | 2億4600万円 | 143試 率.314 19本 85点 OPS.845 | 2年契約2年目 |
2014(33歳) | 阪神 | 3億5000万円 | 142試 率.338 14本 84点 OPS.872 | – |
2015(34歳) | 阪神 | 4億5000万円 | 140試 率.276 9本 59点 OPS.691 | – |
- CHC:シカゴ・カブス
- OAK:オークランド・アスレチックス
- COL:コロラド・ロッキーズ
外国人のシーズン安打記録を持つ稀代のヒットメーカー
2003年ドラフト1巡目補完(全体32位)でシカゴ・カブスに入団したマット・マートン氏。
カブスではレギュラーとして3割近く打った年もありましたが、徐々に出場機会を失い、2010年に阪神タイガースへ移籍。
2009年に引退した赤星憲広選手の代わりのセンターとしての役割を期待されていました。
阪神では6年間で最多安打3回、首位打者1回を獲得し、ヒットメーカーとして活躍しました。
- 首位打者:1回(2014年)
- 最多安打:3回(2010年、2011年、2013年)
- ベストナイン:4回(外野手部門:2010年、2011年、2013年、2014年)
- オールスターゲーム出場:4回(2010年、2011年、2013年、2014年)
阪神1年目の2010年に記録したシーズン214安打は当時のシーズン最多安打記録で、2023年現在も下記のNPB記録保持者です。
- NPB右打者シーズン最多安打
- 外国人選手シーズン最多安打
- セ・リーグシーズン最多安打
2015年に西武の秋山翔吾選手が216安打で更新。
自身最高年俸額は、阪神最終年の4億5000万円でした。
マートンの阪神・メジャー時代の生涯年俸は?
マット・マートン氏の阪神・メジャー時代の生涯年俸は17億7100万円です。
項目 | 年俸額(日本円) |
---|---|
MLBでの年俸総額 | 1億2500万円 |
NPBでの年俸総額 | 16億4600万円 |
生涯年俸 | 17億7100万円 |
マートンの引退理由や現在は?
マット・マートン氏は阪神退団後、アメリカに帰国。
古巣のカブスとデトロイト・タイガースのマイナーで2年間プレイした後、2018年に現役を引退しました。
年度(満年齢) | リーグ | 成績 |
---|---|---|
2016(35歳) | 3A | 76試 率.314 2本 37点 OPS.747 |
2017(36歳) | 3A | 7試 率.154 0本 2点 OPS.368 |
引退理由は加齢による成績不振と推測されます。
マートンの現在は悠々自適な生活?
- カブスのベースボール・オペレーション補佐(2018~2019)
- Fun makeのアンバサダー(2020~)
- グレース・クリスチャン・アカデミーでの野球指導(2021~)
マートン氏は引退後、古巣カブスのベースボール・オペレーション補佐として2年間活動。
その後は、故郷のテネシー州に戻って高校で野球の指導を行いつつ、家族と静かな暮らしを営んでいるとのことです。
たまに来日して甲子園に挨拶に来ることがあり、阪神との縁は切れていないことから、今後打撃コーチや国際スカウトの依頼もあるかもしれません。
直近では2023年7月に来日しました。